04 *降臨*

 采彌ことやに命じられ、急遽きゅうきょ世界図書館に戻った桐哉とうやを待っていたのは、崩れた本の山とひどく傷ついたフォエニド。桐哉はまず、フォエニドに話を聞こうとしたが、彼はその前に<世界移動>のシステムを止めるべきだと話した。
 フォエニドが居たこの<別館>は、図書館に収められている本の修繕などを行う場所だ。そしてこの図書館の本は一風変わっていて、本を開いたとたんにその本の世界へ旅立つというものなのだ。桐哉やフォエニドは管理する側であるからなのか、自分で意思を持たないと本の世界には入れない。しかし、こうも沢山の本が開いていると、様々な世界が入り混じってしまうため、とても危険なのである。
「桐哉様、私のことはよいですから、まず<館長レジッサー>としてやるべきことをなさいませ。あまりに沢山の本が開いていると危険です」
「…っ!…わかってるよ。………館を統べるものの名において命じる。世界移動を止めろ。Raumラウム!」
 しぶしぶ桐哉が唱えると、本から溢れ出していた沢山の光が一気に静まり、それはただの本にしか見えなくなった。
「…で、何があったの」
 館長の役目を果たし、桐哉は今度こそ、とフォエニドに話を聞いた。

* * *

 桐哉が世界図書館に居なかった時間に起きたことをフォエニドは事細かに話して聞かせた。ただ、立ち去り際に天使に言われた勧誘のような言葉は、何を思ったのか話さなかった。
「謎の天使…?天使なら何故この図書館を攻撃するんだろ…。それに、僕を探していた、って言ったよね?」
「ええ、ここのことを内部までよく知っている様子でした。ここに勤めてもう数えきれないほど経ちますが、あのような者は一度も見たことがありません。それは間違いないです」
「ん…。どうしよう、フォエニド?」
「どうされましたか?」
「もう一度天界に上がってこのことをお話しするべきだろうか。でも、彼が戻りなさいと仰ったからには、もう知っておられるのでは…」

『ああ、知っているよ』

「えっ!?」
 考え込む桐哉の後ろから、突然知った声が降ってきた。誰かと思い、振り返って桐哉は驚いた。
「あなたは…!」
「ええと…どなたです、桐哉様?」
驚く桐哉とは反対に、フォエニドはきょとんとしている。
『君と顔を合わせるのは初めてだね。長く桐哉がお世話になっているな。ありがとう。…俺は、たちばな龍騎りゅうき。天使界の守護者を命じられ、また“彼”の秘書のような仕事もしている。桐哉が俺のことを話したことがあるんじゃないか?』
 龍騎は、天使の中で本当に1番の位である熾天使の一人だ。沢山の天使が神に仕える中で、神のことを一番よく知る者でもある。そして、天使が住む<天使界>を守護している。
何者か分かった途端、フォエニドは膝をついて最敬礼をし、突然の客人を迎える。
「あなたが、橘様…!いつかお目にかかれれば、と思っておりました。お会いできて光栄です。桐哉様からよくお噂をお聞きしておりますよ」
『どんな噂だか、心配だな…桐哉?はは、まあ…それはいい。フォエニド、…といったな。君には悪いが…実は、会っているとはあまり言い難いな』
「どういうこと?龍騎様…」
『そうだな…。桐哉、俺に触れてみろ。そうすればすぐ分かるよ』
 そう言って龍騎は桐哉に向かって右手を差し出した。最高位の天使に触れろと言われれば、ためらいはあれど逆らえないのが天使の業。おずおずと桐哉は右手を出して、龍騎と握手をしようとした。
「…あれっ?」
しかし、右手は手をつかまずに、虚空をつかんだ。
「え、ど…どういうこと!?まさか、映像とかそういう…!?」
『そうだ。映像ともちょっと違うんだが…。っ!桐哉、フォエニド。すぐに跪きなさい』

『あの方が降臨なさる!』

  ドウッ!!!

 龍騎が叫んだ一瞬後、世界図書館は謎の天使が襲ってきた時より激しく揺れた。散乱していた本のページがくるくると突風で捲られる。跪く桐哉とフォエニド、一人立っている龍騎の服が激しくはためいた。風が落ち着いて、桐哉が目を開けた時、目の前には采彌が立っていた。
『采彌様…図書館には私が来ると申しましたのに』
あきれた声で龍騎が采彌を諫めた。

『こうならないと天使界までしか普通に行けないのが嘆かわしいな。もっと動きやすい身であればよかったのに…』

「な、何故あなたがここに…!!」
「桐哉様…?…はっ、この方が?」
驚きのあまり動けなくなっている桐哉を見て、フォエニドは彼こそが自分たちが仕えている主人、神なのだと悟った。降臨するだけで辺りに衝撃をまき散らしてしまうことを、采彌は申し訳なさそうにする。
『私も龍騎と同じ、意思だけでこちらへ来たのだけれど、これでもダメか…』
『知ったことをやらないでください、采彌様。お話は終わりでしょう、フォエニドの回復と別館の修復をしましょう。桐哉、俺が桐哉の魔力回復をするから、君はフォエニドの完全回復をしてくれるか?別館修復はその後だ』
「は、はい。ありがとうございます」

「フォエニド、今回復するから。…完全回復せよ!Fitnessフィトネス undウント Zauberkraftザウバーカフト vielフィール Besserungベッセルング!はぁ、はぁ…。フォエニド、どう?元気になった…?」
 桐哉の呪文で、フォエニドの周囲に薄桃色の魔法陣が現れ、キラキラ光る粒子と共にフォエニドを包み込んだ。すると、フォエニドが受けた致命傷は綺麗に跡形もなくなった。服も元通りだ。
「ええ、おかげさまで。ありがとうございます、桐哉様」
『では俺の出番だな。天使界の守護者が命じる。桐哉に魔力を!Herzヘルツ viel Besserung!さあ、桐哉はどうだ?』
 龍騎の呪文では、桐哉の周囲に翠色の魔法陣が現れて、同じように桐哉を包み込むと、激しい魔力消費のせいで喘息のような発作を起こす桐哉の息切れが治まった。
「はい、いつも通り元気です!息切れも治まりました」
『そうか、良かった。じゃあ、今度は別館修復だ』
『私も手を貸そう』
 神と熾天使魔術師ウィザード召喚師モナーが揃っての大魔法だ。歴史上でも、このような例は滅多にあるものではない。4人は声を合わせて、天使の襲撃と采彌の降臨で崩れた別館を戻す、修復呪文を唱えた。
 途端に、まず建物が完全に元通りになり、次に本棚や、中央に置いてある本の修繕用の大きな大理石のテーブルが修復され、元の位置に戻された。最後に、そこら中に溢れていた本の山が持ち上がって、まるで本が生きているみたいに、それぞれの本棚へと戻っていった。

「…ふう。ありがとうございます、采彌様、龍騎様。すごいです、こんなに大きな魔法がこんなに短時間で
できちゃうなんて。助かりました」
『私達からすれば、このくらいなら何でもないよ、桐哉。では、帰るとするかな、龍騎?』
 かつてない程の大魔法を久々に使って興奮した桐哉は、まくしたてるようにお礼を言った。采彌は、当然という顔をしている。
『いえ、もう一つだけ用事が。…桐哉、今回あったことはなるべく内密に。それと、これから何があるかわからないから、連絡用にこいつを置いていくよ。大切にしてくれ』
と言いながら、龍騎は桐哉の手に薄桃色のもふもふした「何か」を置いた。
「うわあ、かわいい!あの、これは…?」
 そのもふもふは、小さな動物のようだった。切れ長の耳の間には大きな花飾りがあり、首元には少し濃いピンクの毛がふさふさと生えている。そのふさふさの毛にも、花飾りが付いていた。ほっそりとした足に、ほっそりとしたしっぽがある。その尻尾の先にもまた、大きな花が付いている。そして何より目を引いたのは、妖精に生えているような透き通った桃色の羽である。その愛らしさに、桐哉は思わず歓声をあげた。
『こいつは、俺の分身なかまだ。俺の得意分野は動植物だからな。采彌様の庭の花を1輪、戴いた。俺の魔法で、…まあ喋れはしないが…動くようにしたんだ。これが見聞きしたり、感じたりしたものは、いつでも俺が見ることができる。食事は特に必要ないが、1日1回は必ず水をあげてくれ。でないと枯れてしまう。もともとは秋桜コスモスなんだ』

『ああ、私も一つ大事なことを忘れていた。降臨してまでここに来た理由だ。これは、未だ推測にすぎないのだが…。最近、魔界が勢力をあげつつある。昔、私が施した防護結界は殆ど解かれている。そろそろ正式に仕掛けてくるかもしれない。今回、襲撃があったのはその宣戦布告の1つだろう』
 と、采彌は話す。各世界全てを巻き込む大戦争になりかねないため、その時は桐哉とフォエニドは天界側として戦争に参加してほしい、桐哉は堕天使でフォエニドはネフィリムという身だが、この図書館のためにも…。そう話して、采彌は2人に参加の約束を求めた。2人は少し考えるが、やがて2人とも天界側に付く、と約束した。もう一つ、全面戦争となった暁には、図書館を本拠地、つまり後方基地として開放する、とも約束した。

「あの、せっかくですし、もう少しお話ししていきませんか…?」
 用件をすべて終えて天界に帰館しようと話す采彌と龍騎に、遠慮がちに桐哉が提案する。しかし、采彌は首を振った。
『それはすごく魅力的な提案だけどね、桐哉。桐哉が帰ってすぐ、私も来ちゃったから、他の天使たちが探しているようなんだよ。今日はわざわざ来てくれてありがとう、桐哉。これからも頼むよ。そして従者、フォエニド』
『急にこのようなことになって済まない、桐哉…。困ったらいつでもそいつを使うといい。…待っている』
采彌に続いて龍騎も別れを告げた。
「私のようなものに声を掛けて戴けるなんて恐縮です。…桐哉様、私たちは良い主人を持ちましたね」
「うん、そうだね。…では今後も、頼らせていただきます、采彌様。龍騎様も」

2人を見送り、桐哉たちは再び仕事を再開した。

03 *襲撃*


 『世界図書ウェルツビブリオに嫌な気を感じる。早く戻ってあげなさい、桐哉とうや

 “彼”、つまりことやにそう言われ、桐哉は再び図書館へ戻った。帰館した桐哉を待っていたのは、荒らされた本と資料の山、そしてそれに埋もれて動けない、致命傷を負ったフォエニドだった。
「桐哉様…!よくご無事で…」
「フォエニド、これはっ!?一体どういうこと…?采彌様がすぐ戻れと仰ったから、戻ってきたんだけど。…何があったの、フォエニド?」
「大変なことになりました、桐哉様…」

* * *

 悠爾ゆにの事を報告するため、桐哉を<天界>に送り出したフォエニドは、その後図書館の全ての出入り口を閉じて、一時閉館状態にしていた。桐哉に<館長レジッサー>の権限を一時的にではあるが託されたため、まだ図書館に残っている客の世話などをして桐哉の帰館を待っていた。
 しかし突然、世界図書館全体に高圧力がかかったように、大きく揺れたのだ。混乱を鎮めるために精霊を召喚して客を任せ、フォエニドは圧力がかかった現場へ向かうことにした。意識を集中させると、図書館の異変がある場所はすぐに分かる。
「これは…。<別館べっかん>ですね…。遠いので移動魔法陣で…。………<世界図書ウェルツビブリオ>を護る者の名において命ずる。別館入口へ…」
 フォエニドがこう唱えると、足元から蒼色の魔法陣が広がり、星が流星のように溢れた。

spostareスポスターレ!」
 次の瞬間、ドウッと空気が唸り、フォエニドはそこにはいなかった。<別館>へ瞬間移動したのだ。
 <別館>に駆け付けたフォエニドが目にしたのは、散乱した本や資料の山と瓦礫、そして壁が崩れた向こうに浮遊する、片翼の天使と2匹の黒猫だった。
「…っ!?これは…!」
 謎の天使は、最初はただ何かを探している風で、フォエニドには全く気付かなかった。が、フォエニドが天使の顔を見ようと本の山へ足を踏み出した時、

   ドサァッ!
「 ! 」
 案の定崩れてきた本の音で、天使はフォエニドの存在に気付いた。


「…くふふっ。みィつけたあアァっ!」


「な、  ッ!?」
 見つかったか、とフォエニドが危惧する間に、天使は右手を一捻りした。その瞬間、フォエニドは壁にうちつけられ、そのまま動けなくなってしまった。
「ああ、ああ。お前が噂の番人君?どう、わたし力魔法クラフトは?あははっ、苦しいだろう!?もっと絞めつけてあげようか?」
「誰です…っ!?何故、この図書館にこのようなことを!?」
 ニヤリ、と怪しげな笑みを浮かべながらフォエニドを眺めていた天使だが、フォエニドにそう問われて初めて思い出したように聞き返した。
「あー、そうだ。君に聞きたいことがあるんだよねえ。…ねぇ、お前の“ご主人様”…、何処にいるの?探してもいないんだけど?」
 質問に質問で返され、フォエニドはたじろいだ。その“ご主人様”のことは、<人間界>で例えるところの国家機密レベルの情報である。それに、どこに居るか答えたところでこの天使が“そこ”にたどり着けるだろうか?
「名も知らぬ者に易々と教えるわけがないでしょう…!答えなさい!あなたは誰です!?」
「…ふーん。ま、ふつー答えないか。しょうがないなぁ…だったら、無理矢理居場所を吐かせるしかないよね!?」
「望むところです!」

「暴れろ、下僕しもべたち!歴史の語り部、マリアーノ!!」
「目覚めよ、我が眷属マギの一人、皇帝ヘー!!」



 しばらく経って、2人とも多大な傷を負ったが、先に動けなくなったのはフォエニドの方だった。天使は、フォエニドの複数のマギを巧みに避けて、フォエニドだけに確実に攻撃を当てていたのだ。魔法ばかりを使うから、魔術師ウィザードならば物理攻撃力は低いだろうと踏んだのが敗因だったとフォエニドは後に話している。実際、天使はとんでもなく強かったのだ。
「はあ~あ、こんなのでよく“門番フーナー”名乗ってられるよなあ?帰ったら仲間の笑い話にしてやるよ、噂になるんだよ、光栄だろう?」
「…私はやられても、あの方は見つかりませんよ」
「何、居ないってことかい?…どこに隠した、番人君?まあ、お前が倒れてる間に見つけちゃえばいいだけなんだけどなあ。…というわけだから、もうちっと黙っててくれない?……暗黒ドンケルハイトっ!」
「ぐ…っ! 、っは…、あの方を見つけて、何を…する、つもりだっ!」
「ああもう、うるさいなあああああ!」

 自らの攻撃を受けて尚、食い下がるフォエニドに激昂した天使は、怒りのままにフォエニドに魔導攻撃を放った。フォエニドは、そのまま本の山に埋もれて動けなくなってしまった。
「はっ、そこでご主人様が見つかるのを黙って見てろ」

「桐哉様…。まだあちらにおられるといいのですが…」
 桐哉を案じ、フォエニドは小さな声でつぶやいた。その頃、桐哉はまだ采彌と話している最中だった。
 それからしばらく、天使は桐哉を探して図書館をうろついていたようだったが、フォエニドの言うとおり、本当にいないと分かると、諦めたらしく溜め息をついた。フォエニドは安心したのを悟られないように、静かに息を吸った。
「仕方ない。時間もあるし、我はもう帰るとするよ。まさかこんなに探してもいないなんてな…。お前の言うとおりになったな」
「用が済んだのならば、早急にこの世界図書館から立ち去りなさい。回復して反撃しようと思えばいつだってできるのですよ」
「まだ、そう殊勝なことを言うか。分かるだろうが、我はこれで本気ではないぞ?」
天使はそう言うと、ニヤリと笑った。フォエニドも負けずに答える。
「そのくらい言ってないとやってられませんよ」
「そうだろうな。…なあ番人よ、一つ提案がある」
「…なんでしょう」
「お前が我に付くなら、我たちは喜んでお前を迎えるだろう。だが、お前が我たちに仇をなすなら、その時は…」
ここで一息ついて、天使はフォエニドに宣言した。

「お前のご主人様もろとも、まとめて…喰らい尽くす!」